断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

旅人と旅好き―湯川秀樹の自伝『旅人』(2)

 そんな父のことを、湯川秀樹はこうも記している。

 こういう父の生活ぶりは、父が私よりも、はるかに活動的な人間であることを示している。私も近年、しばしば旅行に出るが、たいていはやむなく、という感が深い。人間は自分の置かれた境位のために、どうしても動かなければならなくなるものだ。だから私も、不意にアメリカやヨーロッパまで飛んだり、月に一度くらいは東京や地方都市を訪ねたりするが、私の本性はとかくそういう旅行を避けたがる。
 生まれつき、ものぐさなのかもしれない。私には研究所か書斎で、物を考えている方が、出歩くよりははるかに楽しいのである。

 旅好きの学者小川琢治は、それ以外にも非常に多趣味な人間であった。囲碁に打ち込み、書画骨董に凝り、専門以外の書籍も大量に買い込んでいたという。しかも気分屋で激しい気性の持ち主であり、あけっぴろげな古武士のようなところもあった。家への訪問客は多かったが、「父はだれにでも、自分の思った通り率直に言う人であった。相手が神妙に聞いている間は天気晴朗であった。が、相手が父の気にいらぬことをいい出すと、がぜん雲行が険悪になる。」そんなときは大声で客に怒鳴り散らし、座敷から家中に声が響き渡ったという。
 いっぽう湯川秀樹は、内気で傷つきやすく、感受性が強い少年、「偏狭に自分を守ろうとする少年」であった。そのように内へ向かう心のエネルギーは、必然的に、外界への無関心ぶりと表裏の関係にある。『旅人』にはこんなエピソードも記されている。
 中学四年のとき、次兄茂樹の通う第三高等学校ストライキが起こった。新しい校長のもとで教員の人員整理が行われ、憤慨した学生たちが寄宿舎に立てこもったのである。心配した父の琢治は、夜になって三高へ出向いていった。秀樹も父に連れられて高校の門の前に立った。

 しかし、門はあかなかった。その閉ざされた門をへだてて、父は学生の代表とかけ合っていたようである。門灯の薄いあかりの中で、父の顔はけわしく緊張していた。
 どんな問答が交わされたのか覚えがない。あるいはその応対を、聞いていなかったのかもしれない。私はその時、そのストライキの意味を、一向に考えて見ようとしなかったようだ。ただ、父についてそこまで来ただけのことである。今にして思えば、なんとボンヤリの少年であったことか。