断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

旅人と旅好き~湯川秀樹の自伝『旅人』(6)

 兄弟たちが揃いも揃って優秀ということもあったのだろう。(長兄芳樹は冶金学者で東大教授。次兄貝塚茂樹東洋史学者で京大教授。弟の環樹は中国文学者で京大教授。)が、それにしても秀樹が在籍した京都一中は当時の超エリート校で、彼の同級生にも、後に学者になったような人間がごろごろいるというような場所だった。そんなエリート集団にあって校長の目を引くほどの才能を、学者の父親が全く分からずにいたとは、やはり驚くほかない。
 人間というものはえてして自分を基準に他人を評価したがる。ましてや成功者であればなおさらである。有能な商社マンや弁護士、卓越したアスリートや芸術家、これらの人たちは、仕事においても日常生活においても、自分なりの流儀を確立している。だから自分以外の人間の適性を見る際にも、その「流儀」を判断の基準にしがちである。「俺は学者として成功している。秀樹は自分とは似ていない。だからあいつは学者には向いていないはずだ。」こういう粗雑な三段論法が、父の心の中で無意識に働いていたのではあるまいか。
 秀樹と父・琢治の間柄を、兄の芳樹はこう述懐している。「子を知る者、親に如くはなし……という言葉も、父と秀樹の間では、あてはまらなかった。」しかし私たちはむしろこう言うべきであろう。世の中には子供のことを理解していない親など山ほどいる。が、これほどドラマティックな無理解ぶりはそうは存在しないであろう、と。そしてその無理解が、人間の類型上の違いによるものであるということ。
 父親と自分の違いについて、湯川秀樹はこうも書いている。

 理論物理学という学問は、簡単にいえば、私たちが生きているこの世界の、根本に潜んでいるものを探そうとする学問である。本来は、哲学に近い学問だ。
 これに反し、地質学は自然現象に、もっと直接触れるものでなければならなかった。学問のそれぞれの分野を選ばせたもののうちには、すでに父子の性格的な差異もあったのだろうか。

 むろんその通りである。プラトンが現代に生まれてきたとして、彼が地質学を専攻するなどということはちょっと想像できないし、アリストテレス理論物理学を専攻するということも、多分起こらないであろう。
 ともあれ彼は、無事に第三高等学校へ進学した。そこに在学中、父から地質学(!)の英語の入門書を勧められたことがあったという。入門書とはいえ千ページはあろうかという大部の本で、読み始めたもののすぐにイヤになり、一週間で投げ出してしまった。彼が物理学を専門として選ぶのは、そのすぐ後である。
 蛇足であるが、書名の「旅人」とは言うまでもなく「人生の旅人」の謂である。自分の人生を「旅」と呼ぶのは、感傷的でもあれば紋切り型でもある。そこには旅することの孤独や悲哀、よるべなさといったニュアンスがこめられている。「旅人」は必ずしも旅好きとは限らない。だが逆に、旅好きが果たして自分の人生を「旅」と感じるかどうか。これは微妙なところであろう。