断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

猫に会った話(2)

 「猫派」か「犬派」かと訊かれれば、当然私は猫派ということになるのだろうが、一口に猫派といっても猫との付き合い方は色々である。単に猫を眺めているのが好きだという人もいれば、一緒に遊ぶのが好きという人もある。中には野生の猫が狩りをしているのを見るのが好きという人もいる。私は一緒に遊ぶタイプで、その意味では猫も犬も接し方は同じである。(友人知人の家に犬がいれば、遊んだり散歩へ連れて行ったりする。)ただし犬は、猫と違って一度も飼ったことがないから、親しみの度合いが違う。泊まり込みのキャットシッターなども含めると、私は今までに八匹の猫と関わっていて、猫との付き合いは「年季が入っている」のである。
 しかし猫ならば何でもいいというわけではない。すさんだ顔つきの怖そうな野良猫などはあまり好きではない。犬も同じで、精悍な大型犬のたぐいは苦手である。村上春樹氏の『雨天炎天』という旅行記に、走行中のRV車を体当たりで攻撃する牧羊犬のことが出ているが、あんなのは全くダメである。
 以前、家庭教師をやっていた家で、怖そうな大型犬を飼っていた。家の門を入ってすぐのところに大きな檻があるのだが、そこを通りかかると激しく吠えかかる。昔は防犯目的で「猛犬注意」というステッカーを玄関に貼っている家が結構あったが、まさしく「猛犬」を地で行くような犬で、私も行くたびに声をかけて懐柔しようしていたのだが、まるで効き目がなかった。
 ある日、いつものようにその家を訪れて門の中へ入ると、脇の檻が空になっていた。おやと思う間もなく、庭にいた犬がすさまじい咆哮をあげて私に向かってきた。ちょうど檻から出して庭で遊ばせていたところだったのである。家人が必死に制止しようとしたけれど効き目がない。とっさに玄関の中へ逃げ込み、間一髪のところで難を逃れた。間に合わなかったら大怪我をしていたところであった。
 これもかなり前のことだけれど、自転車で走っていたら道の横に大きな野良猫が坐っていた。道に猫がいること自体は珍しくないが、猫そのものがちょっと変わっていた。ふつう野良猫は、人間を見るとすぐに逃げ出すか、おびえたような目つきでこちらを窺う。ところがこの猫、私が自転車を止めても一向に平気である。「何だこいつ」みたいな顔つきで、平然とこちらを見つめている。ちょっと面白かったので自転車を降り、声をかけてみることにした。
 一歩ずつ近づいていったのだが、驚いたことに全然逃げようとしない。じっと坐ったまま私のほうへガンを飛ばしている。人間ごときに背中を見せるなんて、俺様の沽券に関わると言わんばかりである。こうなるともはや単なる好奇心ではすまない。ひょっとしたらこれはとんでもなく獰猛な猫で、下手をしたらこちらが怪我をするかもしれない。万が一のことも想定しつつ、警戒しながらその猫へ近づいていった。
 あと二、三歩という距離まで近づいたとき、とっさに身を翻して猛スピードで走り去った。その走りっぷりがまた見事だった。土を蹴る筋肉のバネが、遠目にありありと伝わってくるような走り方だった。近所のボス猫といった風情の、堂々たる体格の猫であった。