断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

猫に会った話(5)

 ちょっと間が空いてしまったけれど、前々回の記事の続きである。
 ずっと鳴かなかったその猫が、ひとたび鳴いたことで一気に私との距離が縮まったかというと、そうでもなかった。もう一匹が私にべったりの状態なので、何となく遠慮して近づかないでいる感じだった。それでもエサは一緒に並んで食べるようになった。夜の散歩時など、気がつくと一緒に来ていて、もう一匹を抱いて可愛がってやっているのを、じっとそばで見つめていたりした。
 そうこうする内にもう一匹の里親が見つかった。このときの別れは(以前の記事でもちょっと書いたが)今思い出しても辛いくらいである。里親探しが果たして良いことだったのかどうか。むろん見つけた事自体は良かったのに違いないのだけれど、その過程でつらい目に遭わせてしまった。「顔見せ」のために、多くの動物たちが行き来する動物病院の待合室で、狭い檻の中に閉じ込められたまま、来る日も来る日も見知らぬ人間たちの視線にさらされ続けたからである。それに、ひとたび里親が見つかったら二度と会わない(元の飼い主とはコンタクトを取らないまま里親に引き渡す)というのが、この病院の規約であった。あれほど可愛がっていた猫と、私は永久に会えなくなってしまったのだった。
 何はともあれ一匹はいなくなった。すると彼は「人が変わったように」私に甘えだした。散歩にこそついて来なかったけれど、平気で抱かれるようになったし、撫でてやると頻りに声を出して甘えた。ただ、楽器の壊れたような声の調子だけは以前と変わらないままだった。
 それが半年ばかり続いた。私は毎日のようにエサをやり、せがまれたら抱いて可愛がった。けっこうな老齢らしく、抱くと体が骨ばっているのがはっきりと分かった。ときどき道路を横切ってゆくのが部屋の窓から見えたが、見るからに大儀そうに足を引きずっていて、もう先は長くないなと思わせる歩きぶりだった。
 冬になった。それまで毎日のようにエサを食べにきていたその猫が、来たり来なかったりするようになった。ちょっと気になったけれど、食べに来るときはいつもと変わらない様子だったので、そのまま放置していた。それから二、三週間ほど経ったころ、ついにぱったり来なくなってしまった。心配して近所を探して回ったが、どこにも見当たらない。真っ先に心配したのは交通事故だったけれど、どうやらその惧れはないようであった。結局、かなり齢を食っていたようだし、体もかなり弱っていたから、最後は人目を避けるようにして自分で隠れたのだろう。そう思ってあきらめた。しばらくエサを置き続けたものの、それもじきに片付けてしまった。
 さてその猫と、去年の夏に再会したのである。それは今住んでいるところとはちょっと離れた場所で、私は買い物帰りに自転車を走らせていたのだが、とある家の庭にその猫が座っていたのだ。見違えるほど太っていて、はじめは本当に同じ猫なのか自信をもてなかった。近づいて確かめようにも、よその庭へ入るわけにはいかない。が、じっと目を凝らして観察してみると、噛みちぎられた尻尾の特有の曲がり方をはっきり確認できた。思わず声をかけたけれど動かない。するうちにその家の車が入ってきた。私はあきらめて立ち去った。
 それから何度かそこへ行ってみたけれど、さっぱり見かけなかった。あの太り方からして、もはや野良猫でないことは明らかだった。たぶん家の中にいたのか、それともどこか散歩にでも出ていたのかもしれない。
 それから一ヶ月ほどして、もう一度その猫を見かけた。この時は別の家の玄関先に座っていて、私とは目と鼻の距離だった。以前使っていた名前で何度も呼びかけてみた。が、彼はきょとんとしたまま、じっと私を見つめて動かなかった。
 それがこの猫を見た最後である。その後何回か行ってみたが、一度も彼の姿を見ていない。齢をとってもう外へ出なくなったのかもしれない。少なくともまだ生きていてほしいのだけれど、それを確かめるすべはない。