断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

岡潔と猫

 岡潔の話は前回までで一区切りにしようと思っていたが、もう一つ、表題のテーマで記事を書くことにした。ただしここで、猫をめぐる岡潔の秘話やエピソードを開陳するわけではない。彼自身がエッセイ(「こころ」、角川文庫『風蘭』所収)に書いている内容の単なる紹介記事である。短いエッセイなので本当は全文を引用したいところだが、さすがにそうも行かないので、かいつまんで紹介したい。
 奈良女子大に勤めていたころ、一人の女子大生と道を歩いていた。そのとき道端に子猫が捨ててあるのを見つけた。その学生が、こういう時は一体どうすればいいのだろうかと尋ねたという。

 わたしはそのときどう答えたか覚えていませんが、これを説明するとともにそのとおりにしなくては仕方がないので、わたしはその子ねこを拾いあげてうちにつれて帰りました。[……]そして、ずるずると飼ってしまうことになりました。

 ミルクで育てたので「ミル」と名付けたという。

 ミルは変わったねこでした。
 とくにわたしによくなつき、わたしが立ち上がると畳からかけ上がってひょいと左肩にとまるのです。
 わたしはへやの中を歩くとき、ミルを左肩にとまらせていることが多かったものです。
 そのころ、わたしのうちには息子にふたりの娘とみんなそろっていました。そして、寝床を広く横に敷いて寝たものですが、ミルはお産をするときその寝間にはいって子を生みました。
 こんなねこはめったにありますまい。

 食事のさいは必ず彼の膝の上に乗り、刺身などをもらって食った。あるとき岡潔はふと疑問に思った。この猫は刺身そのものがうれしいのだろうか。それとも刺身をもらうことで、飼い主の愛情を確かめるのがうれしいのだろうか。

 そこで、どんなふうにためしたか忘れましたがとにかくためしてみました。そうすると、ミルは刺身が目的ではなく、きょうも刺身をくれるというわたしの行為を確かめたいのだとわかりました。

 そんなミルも年老いて、最期のときを迎えることになった。

 そのころ、わたしはひとりで奥の間に寝ていました。[……]すると、ミルが障子の外に来てなかにはいろうとしているのがわかりました。障子に穴があっていつもそこをとびこえて中にはいるのですが、もうとびこむ力がないらしい。障子をあけて入れてやると、どうも毛布の中にはいりたそうなようすをします。
 わたしはミルを毛布の中に入れてやり、いつものように学校へ出かけました。そして、帰ってきたときは、ミルは毛布の中で冷たくなっていました。
 ねこはふつう死に場所をけっして人に知らさないといわれていますのに、このねこはわたしの寝間に死に場所を求めて、わざわざもどってきたらしい。

 話はちょっと前後するのだが、ミルが家に住みついて家族の一員に定着したころ、岡潔は「一つ人間のことを教えてやろうと」思い立ち、「どうしようか考えた末に」庭のバラのところへ連れて行った。なんと猫に、バラの香りや色形の美しさを教えてやろうとしたのである。しかしというか、当然ながらというか「すぐ、フンと横を向いてしまって」どうしようもなかった。
 
 [……]とにかく、とりつくしまがないとはこのことだと思いました。ねこにばらをいくら教えようとしてもだめです。
 そこでわたしはつくづく思いました。ねこがねこであることを抑止してくれなければ、ねこにばらはなんとも教えようがない。

 まさしく「猫に小判」を地で行くような行為だが、それを本気でやろうとするところがすごい。
 ちなみに私も昔、猫にお酒のおいしさを教えてやろうと思って、エサに酒を混ぜて与えたことがあるが、「フンと横を向いてしまって」全く口をつけようとしなかった。
 この「こころ」というエッセイには、岡潔と一緒にジャンプする野良犬の話なども載っているので、機会があればぜひ覗いてみてください。
 最後に「湖底の故郷」というエッセイ(角川文庫『春風夏雨』所収)から二か所、引用してみたい。こちらも面白い内容なので、興味のある方はぜひご一読を。

 私は学生をABCの三級に大別していた。Cは数学を記号だと思っているもの、Bは数学を言葉だと思っているものである。[……]それからAは数学は姿の見えないχであって、だから口ではいえないが、このχが言葉をあやつっているのであると、無自覚裡にでもよいから知っているものである。
 私は答案を一瞥しただけでも、その人と少し話し合ってみただけでも、それらがこの三級のどれに属するかがわかるほどに、この教育法に習熟していたのである。ところがそのいずれにも属しないもの、いわばDクラスが出て来始めたのである。CBAは私の進化の順であり、同時に数学史の向上の順なのであるが、このDはそのような系列にはなく、私にはちょっと正体が分からなかったのである。しかもこのDがさまざまに変わっていったのである。生物(昆虫、微生物、ビールス等)に「放射線」をあてると意外な変種ができる。Dはそれに似ている。だからそれまでの教育は「放射線」をあてるような危険きわまりない教育ではあるまいかと疑わせる。
 Dの数は段々ふえる。だからABCの数は段々へる。それとともにABCの一つ一つは影が薄くなり、Dは段々強さをます。種類もふえる。とうとうDばかりになってしまった。
 サア、どう教えてよいか全くわからないのである。私はそれまでの教育を全面的に調べてみようと決意した。(中略)今の教育は思い上がって、立ち入って、私が予想したように、まるで「放射線」を当てるようなことを実際にしていたのである。


 私は数学研究を大学を出てから四十年やっているが、数学とはどういうものかをはっきりいえるようになったのは、漸く今年の五月のことである。[……]数学の実体は法界(正確にいえば事々無礙法界。四法界中最高)であって、数学するとは、主体の法が客体の法に関心を持ち続けて、後者が前者の上に表現せられる直前までやめないことであって、表現は数体系によってするのである。[……]私のいった法界は全く言葉のない世界である。しかるに呼びかけるには言葉がいる。それで、幸い今このくにの人たちは水の中に住んでいるのだから、水中から望み見た空中(法界)の真風光を述べることにすればよい。はっきり自覚してではないが、そう感じたから、私は「情緒」という言葉を導入したのであって、『春宵十話』でとり入れ『風蘭』で実際に使って見てもらい『紫の火花』で一応説明したのであった。