断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

YouTuberと迷惑客

 さて前回の記事には、実は続きがある。
 廃線跡のハイキングコースを歩き終え、井川駅へ戻ってギリギリで列車に乗り込んだ。井川の次の停車駅は閑蔵で、ここからはバスに乗ることもできる。 バスを使えば千頭駅まで所要時間は30分。列車だと一時間半かかるから、どれだけ列車がゆっくり走っているのか想像がつくと思う。
 閑蔵駅を発車してしばらく行くと、関の沢橋梁という有名な鉄橋がある。水面から80メートルの高さにある日本一高い鉄橋である。かつては宮崎県の高千穂鉄道の高千穂橋梁に次ぐ高さだったが、あちらが廃線になったため、高さ日本一ということになった。高さはもちろんのこと、谷底を走る渓流の美しさが素晴らしく、ここを通るたびに僕は窓から体を乗り出して写真を撮ってしまう。
 この辺りは接阻峡といって、大井川いや日本でも屈指の大峡谷である。接岨峡の入り口には接阻峡温泉があり、井川線の駅もあるのだが、閑蔵駅接岨峡温泉駅の間には、秘境駅として名高い尾盛駅がある。鉄道ファンの間では秘境駅ランキングというものがあって、ここは全国ナンバー2の秘境駅だという。ランキングの基準にはいろいろあるらしいが、この尾盛駅は深い山の中にあるだけでなく道が通っておらず、鉄道以外に到達手段がない。(南アルプスの大無間岳へ通じる登山道があるとのことだが、一般人が使える代物ではないだろう。)駅には保線用の小さな小屋があるだけだが、熊が出るという噂もあって、この小屋は避難用に一般解放されている。駅の周囲にはむろん何もないが、かつて人が住んでいた頃に使われていた様々な施設が、廃墟として残っているらしい。僕も一度降りてみたいと思いつつ、未だに降りたことがない。
 さてその尾盛駅に到着したところ、若い女性が乗り込んできた。スマホとカメラを抱えていて、自撮りをしながらしきりに喋っている。ああYouTuberだなと思って見ていると、僕からちょっと離れた席に座った。目鼻立ちの整った綺麗な女性で、慣れた様子でカメラに話しかけている。 
 この尾盛駅で下車すると、当たり前だが次の列車まで待つしかない。しかし井川線の列車は数時間に一本しかない。何もない尾盛駅で2時間も3時間も待つわけにはいかない。そこでここを訪れる客は、井川駅行きの下り列車で降り、同じ列車が井川駅から折り返してくるのを待つ、というのが定石らしい。例えば僕が今乗っているこの上り列車は、尾盛駅15時18分発だけれど、その前の下り列車は14時57分、つまり20分そこそこの滞在時間で済むという計算である。これなら熊に襲われても、保線小屋に逃げ込んでなんとか持ちこたえられるだろう。YouTuberの女性もこの手を使ったに違いない。
 接岨峡の深い谷を過ぎて接阻峡温泉駅に着いた。ここでひと風呂浴びて行く予定だったので下車した。ところが駅を出てみると、立ち寄り湯に「準備中」の看板が掲げてある。慌てて駅へ戻り、すでに発車オーライの合図を出している車掌さんに大声で呼びかけて乗せてもらった。まったく迷惑な客である。
 扉を開けようとしたけれど、なかなか開かずに苦戦していると、先ほどの YouTuberさんが駆け寄ってきて内側から手助けしてくれた。礼を言って乗り込み、何事もなかったように元の席に座った。
 今から思うとこの時、もし別の客が手助けしてくれていたら、この迷惑客の醜態は YouTuberさんのカメラに乗ってネット上に流出していたかもしれない。まあ、それはそれで面白かったかもしれないけれど。
 この女性は次の奥大井湖上駅で下車した。ここも大井川鉄道では有名な駅で、長島ダムによって作られた湖上の島(正確には島ではなく半島)にある。鉄橋の脇に歩道が取り付けられており、そこを歩いてしか外の世界へは出られない。この駅も秘境駅ランキングに入っているようだが、観光地的な色合いが強く、あまり秘境という感じはしない。



関の沢橋梁から見下ろす深い峡谷






奥大井湖上駅(以前に撮ったものです。半島上に駅の施設があるのが分るでしょうか。ここで降りた客は、左手の鉄橋上の歩道を渡って外界へ出ます。そこからちょっと山道を登ったところに展望所があります。この写真はそこから撮ったものです。)