断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

グルメの話

 南欧の人間のライフスタイルを見ていると、毎日食事の時間をたっぷり取っていて、「食の楽しみ」に徹底したこだわりを持っていることが分かる。彼らにとってグルメとは、おそらく「贅沢」というよりも一種の生活必需品なのであろう。ちょうど日本人にとって「風呂」がまさにそのような存在であるように。
 私事で恐縮だが、私の祖父は大変なグルメだった。その彼が病気で入院していたとき、病院食を食う気になれず、無断で病棟を抜け出してあちこち食べ歩いていたそうである。このエピソードを聞いて私は、世の中にはそこまでグルメにこだわる人間がいるのかと驚いたものだが、最近になって少々観方を変えた。祖父は「病気のくせに」美食にこだわったのではなく、「病気だから」まずい食事に耐えられなかったのかもしれないのである。
 グルメとまるで縁のなかったような人が、胃の病気を機においしいものしか食べなくなったという話を聞いたことがある。これは、病気をきっかけにグルメに開眼したというようなことではなく、病気で胃の力が弱り、まずいものを受け付けなくなったということであろう。私の実家で飼っている猫たちも、若いころには安物のキャットフードでも平気だったのに、齢をとるにつれて自分の気に入った缶詰しか食わなくなった。ファストフード店に若者ばかりいるのも、経済的な理由だけでなく、ああいう粗悪な食事を年寄の胃袋が受け付けないということなのであろう。
 さて、そうこうする内に日本は世界有数のグルメ大国になった。これは日本人の間に「食の楽しみ」が根づいたということなのだろうか。それとも私たち日本人が身体的に衰弱しつつあることの兆候なのだろうか。