断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

オスカー・ワイルド『獄中記』より

 オスカー・ワイルドの『獄中記』からの引用。


 わたしは現代の芸術と文化にたいしてもろもろの象徴的な関係に立っている人間だった。すでに壮年期の初めにみずからこのことを悟り、のちに現代にそれを悟らせたのだった。その生涯のあいだにこのような地位を保ち、かつそれを認めさせた人間は少ない。それは、いやしくも認められるとすれば、当人もかれの時代もともに過ぎさってしまったずっと後に、歴史家か、批評家によって、認められるのが通常である。わたしの場合は別だった。わたしはみずからそれを感じ、ひとびとにもそれを感じさせた。バイロンもひとりの象徴的人物ではあったが、かれの関係は時代の情熱と情熱にたいする時代の倦怠とに対するものだった。わたしはもっと高貴な、もっと普遍的な、もっと重大な問題性を有し、もっと広い領域にわたるものだった。
 神々はわたしにほとんどあらゆるものを与えてくれた。天分、名声、高い社会的地位、光彩、知的度胸を得た。わたしは芸術をひとつの哲学とし、哲学をひとつの芸術とした。人間と精神と事物の色彩を改めた。わたしのいったこと、したことでひとびとを驚嘆させなかったようなことはなにひとつなかった。(中略)芸術を至高の実在とし、人生を虚構の単なる一様式としてとり扱った。わたしの世紀の想像力を目覚ませ、ためにそれはわたしのまわりに神話と伝説を創造した。あらゆる体系をひとつの文章に、あらゆる存在をひとつの警句に要約した。
 これらのものと並んで、わたしはかずかずの別なものも手にしていた。わたしは長の年月にわたってわが身を愚かしい官能の安逸に誘いこまれるにまかせたのである。遊び人、伊達男、社交人であることで楽しんだのである。わたしよりもちっぽけな性格とけちな精神のやからを取巻き連にしたのである。わたしは自分の天分を濫費する男となり、永遠の青春を浪費することに奇妙な喜びを覚えるのだった。高いところにいることに飽きると、新しい興奮を求めてわざとどん底まで降りていった。(中略)わたしは他人の生活に無頓着になった。わたしは好むがままに快楽をむさぼりながら進んでいった。(中略)
 道徳はわたしを助けてはくれない。わたしは生まれながらの道徳律廃棄論者なのだ。わたしは法則のためではなく、例外のために作られた人間のひとりなのだ。(西村孝次訳)


 同じような自画自賛の「回想録」に、ニーチェの『この人を見よ』があるが、ニーチェに比べるとワイルドの自画自賛は、あっけらかんとして陽性で、読んでいて痛快である。
 三島由紀夫はこの『獄中記』を「絶美」と呼び、「彼の一生のあらゆる大切な観念が、たちまち翼を得、羽蟻の結婚のようにおびただしく空中で結婚する」書物だと評している。