断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

春が来た

 「春が来た」。ただし私の人生のことではない。はじめて春の気配を感じた日があったということである。その日(一月八日)、午まえに起きて外に出ると、空一面にのどかな春めいた気配が浮かんでいた。前日あたりまでの厳しい冷えこみもやわらぎ、なんだか薄着で散歩に出てみたくなるような日和だった。
 新しい年が明けると、何となく空の色が明るくなる。正月は冬至の十日過ぎくらいにあたるから、天文学的にも季節の反転がはじまる時期にあたっており、「新春」とはよく出来た言葉だと感心したくなるが、しかし実はこの言葉、もともと旧暦の正月を指していたものである。つまり現代の一月は旧暦の十二月、二月が旧暦の正月に当る。俳句の歳時記に描かれている師走独特の情緒は、冬至前後の暗鬱な気候にいかにもぴったりという気がするが、実際にはひと月遅れ、ちょうど今時分のものなのである。
 要するに私たちは、暦というものにダマされているわけだが、ダマされた上でもっともらしい「季節感」を感じているわけで、人間の感性などというのも、案外いい加減なものなのかもしれない。