断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

私の健康法

 先週末のことになるが、近所の瀬戸川沿いに、自転車で山のほうへ走ってきた。
 福田和也氏がどこかで、「ちょっと背伸びをすれば海が見えそうな」と静岡の里山風景を評していたが、瀬戸川の谷もまさにそんな趣きで、柔和でなだらかな山並みがどこまでも続いている。紅葉の季節で、すでに山肌は色づいていたが、杉や竹が多いせいか、それともまだ時期が早いのか、全体にくすんだ感じだった。それでも時々、はっとするような鮮やかな銀杏の黄が、目に飛び込んでくる。それから柿や蜜柑の温かい朱色の点描。狂い咲きの桜の小枝。川沿いの小道には色とりどりの草花が咲き誇っていた。
 低い山稜に覆いかぶさるようにかかる大きな白い雲を見上げながら、二時間ほどペダルを漕いだ。ようやく太股が張りを訴えてきた頃、小さな山小屋風の喫茶店に入った。すでに何回か来たことのある店である。ご主人としばし歓談した後に外へ出ると、空気はすでにひんやりしていた。そのまま谷を下り、途中、日帰り温泉にも立ち寄って、自宅に戻ったときには夕暮れ間近だった。
 自転車に乗るのは私の健康法の一部だが、なかなか毎日というわけにはいかない。せいぜい趣味の延長といったところである。それに比べると「薄着」は私の日常生活の一環で、毎日張りきって実行している。
 元々私は大変な冷え性で、大学時代など、狭い三畳の自室に灯油ストーヴをがんがん焚き、夏でも六月くらいまで毛布を手放せないという体質だったのだが、二年前、ふとしたことがきっかけで薄着体質になった。夏にドイツに滞在した折、秋口の帰国まで上着を買わずに頑張ったおかげで(ドイツの九月はすでにかなり寒い)、薄着が平気になったのである。(ただし最近では、再び寒さに弱くなりつつある。私の薄着体質も一時的なものなのかもしれない。)
 今年は十月いっぱいを半袖で過ごした。十一月末まではワイシャツ一枚で頑張る予定だったが、これは最後の一週で挫折した。十二月に入ってもフリースで通すのが目標だが、これはどうなるか分からない。友人たちからは「またバカなことをやっている」と嗤われている始末だが、無論やせ我慢でこんなことをしているわけではなく、私の中では立派な健康法である。
 色々とバカな健康法をやってきた私であるが、これまで試みた中で忘れられないのは、「わざと熱を出して風邪を治す」という療法である。私は小さい頃から喉が弱く、風邪をひくといつまでも直らずにぐずついていた。漢方やサプリメント、冷水摩擦まで試したのだが、さして効果はあがらず、半ば諦めかけていたところ、ふと耳寄りの情報を手に入れた。長引く風邪には「わざと熱を出す」のが有効だというのである。たしかに風邪のひきかたにも色々あって、パーッと熱が出て二、三日で直るのもあれば、ぐずぐずと何週間も続くものもある。ならば逆もまた真なりで、人工的に高熱を出せば、風邪の治りも早いというのである。なるほどそんな治療法があったのかと小躍りして喜び、舌なめずりをして風邪をひくのを待ちわびた。
 冬が来た。ほどなく風邪をひいて喉や鼻がぐずつき出した。早速、言われた通りに熱い湯にのぼせるほどつかった。その足で寒風吹きすさぶ外に出、二枚重ねのジャンパーにマフラー、体中いたるところにホカロンという装備で、近所のマンションの階段を汗だくになるまで昇降した。
 肝心の結果はどうだったかというと、大して効果はなかった。多少熱が上がるには上がったが、劇的に風邪を治癒させるにはいたらなかった。(結局、完治するのにはいつもと同じくらい時間がかかったように思う。)以来、二度と試みてはいない。
 そんな風邪体質も、非常勤の講師業を始めてからぱたりと止んだ。言うまでもなく教師という仕事は、風邪をひいたら商売上がったりで、そう思って気を張り詰めてやっていると、むやみやたらと風邪なんてひかないものなのである。それでも目に見えない疲れは溜まるらしく、学期が終わると同時にどっと体調をくずすこともある。ある年の冬、正月前の授業が終わって家に帰り、シャワーを浴びながら「疲れたな」とつぶいやいた途端(誇張なしに、まさにそうつぶやいた直後に)、たちまち激しい吐き気に見舞われた。一晩中布団の上でのたうち回った挙句、車で病院に運び込まれた。嘘のような本当の話である。