断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

8月9日(ミラノ~インターラーケン)

 午前4時に起床。シャワー、そして読書。8時半前のジュネーヴ行きのECに乗り、国境の町ブリークをめざす。睡眠不足で眠い。うつらうつらしていると、車掌が検札に来て起こされた。窓の外に湖が見える。イタリア北部の湖水地方の一角を占めるマジョーレ湖である。列車は右手に湖をたずさえながら進み、やがて急峻な山岳地帯に入った。
 アルプスの前衛をなす山々の上に、陰鬱な曇り空が落ちている。昨日まで見ていた暑い青空がうそのようだ。空だけではない。フィレンツェの街そのものが、遠い夢の中の出来事のように思える。一度しか見ていない美術館や教会のことではない。三日間さんざん歩き回ったドゥオーモ周辺の路地のことである。絵画や彫刻は、どのみち現実の時空を超越している。ラファエロの聖母子像の中にある時間と空間は、10年後もやはり同じものとして私を迎えてくれるだろう。私たちはそこへ、いつでも繰り返し帰ってゆくことができる。だがあの路地を歩き回った時間、暑い南国の空を見上げつつ夢心地のうちにさまよったあの時間は、もう二度と私のもとへは戻ってこない。なるほどフィレンツェのあの街角は、いまこの時間にも、同じ姿同じ形であの場所に存在しているだろう。私はそこをもう二度と訪れないような気もするし、他方またすぐに再訪するような気もする。だが「あの時間」の中にあった空間は、もう私の元へは戻ってこない。「あの」フィレンツェを私は二度と訪れることができない。それはもはや夢やイメージと同質のものになってしまったのだ。
 ブリークに到着。山間の小さな町。21歳のときにここからツェルマットへ足を伸ばし、3800メートルの標高に息を切らしながらジーンズで夏スキーをしたのだが、この町のことはほとんど記憶に残っていない。切符売り場で並んでスイスカード(スイスの交通機関が半額で使用できる割引カード)を購入し、列車に乗りこんだ。シュピ-ツ駅経由でインターラーケン、さらにその先のヴィルダースヴィールまで行くつもりだが、途中のカンダーシュテークで降りてエシネン湖へ。ロープウェイで山の上へ上って歩き出したが、すぐに雨になり、やがて本降りになった。民家の軒先で雨宿りをしながら休み休み歩き、ようやく目指す湖に着いた。
 晴れていればと惜しまれるほどの絶景だが、あいにく雨が止む気配はない。とんぼ返りでロープウェイ乗り場へ戻り、そのままロープウェイで下へ降りていった。
 インターラーケンに到着。駅前のスーパーに入った。あまりの中国人の数に驚く。かねて中国人観光客の多さを耳にしていたが、せいぜい5対1くらいの比率で日本人より多いくらいだと思っていた。しかし実際には50対1、あるいはもっとかもしれない。年々、日本および日本人の影が薄くなっていくのはちょっと寂しい。
 ふたたび列車に乗ってヴィルダースヴィールへ。予約していたホテルは駅から5分とかからない距離だった。民家を改装したような小さな宿。ドアの前に立ち、ぼんやり景色を眺めていると、中からホテルの人が出て来て、促されるままに建物の中へ入った。
(写真はフィレンツェの街角風景)