断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

新春つれづれ

 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
 去年は(そしてたしか一昨年も)元旦は用宗の温泉で過ごしました。その時は世の中がこんなになろうとは夢にも思っておらず、「今年もまた温泉三昧の日々を送りたい」などと呑気なことを言っていたのですが、けっきょく去年はほとんど温泉には行かずじまいでした。「密」を気にしつつ温泉に入っても楽しくないので、状況が落ち着けばまたゆっくり温泉巡りでもしようと思っていたのですが、逆に世の中の状況はどんどん悪化し、気楽に気儘にお湯に浸かるという楽しみは奪われたままです。
 近所に(といっても結構離れた場所ですが)掘削して自分用の温泉を持っている人がいます。小さな湯屋を作り、気が向いたときにお湯を上げて入っているようです。羨ましいかぎりです。
 今年の元旦は寒風吹きすさぶ寒い一日でした。しかし正月早々家に閉じこもるのは気分が悪いので、自転車で川沿いを走ってきました。風が強かったので空気は澄みわたっていました。遠州灘から牧之原台地にかけて、うず高い積雲が山稜のようにわだかまり、午後の陽を孕んで白い光源のように輝いていました。道に落ちる木々の影もくっきりと黒く、いたるところ明るい日差しが満ち溢れていました。冬至からまだ十日くらいしか経っていないのに、早くも日脚が伸びてきたのを感じます。
 さてちょっと前に「意見について」という記事を書いた後、ふと「徒然草」の一節(第六十段)を思い出し、読み返しました。今回はこれを引用(現代語訳)してみたいと思います。


 真乗院に盛親(じょうじん)という尊い高僧がいた。芋頭というものを好み、たくさん食べていた。法談の座でも、大きな鉢にいっぱいに盛って、それをひざ元に置いて、食べながら書物を読んでいた。病気になれば一、二週間、療治といって籠り、良い芋頭を好きなだけ選んで、とにかく沢山食べてどんな病も治した。他人に食わせることはなく、ただ自分だけで食べていた。非常に貧しい出自で、お師匠が死に際して銭二百貫と僧坊一つを譲ったのだが、僧坊を百貫で売り払い、三百貫を芋頭の代金と決めて、京都の人に預け置き、十貫ずつ取り寄せて、芋頭を存分に召し上がっている内に、他に使っていないのに全て使いきってしまった。「貧しい身で三百貫を手にいれておきながら、こんなことに使ってしまった。本当に変わったお坊さんだ。」と人々は申していた。
 この盛親はあるお坊さんを見て、「しろうるり」と名付けた。「『しろうるり』って何ですか?」と訊かれると、「そんなものわしも知らん。もしあったとしたら、あの坊さんの顔に似てるんだろう。」などと言った。
 盛親は目鼻立ち整い、力も強く大食漢で、能書で学識にも弁舌にもすぐれ、僧侶としての身分も高かったので、寺中でも重んぜられていたが、人を人とも思わぬ変人で、いつも自由にふるまい、およそ他人に従うということがなかった。仕事で出かけて饗応の席についたときも、全員に配膳されるのを待たずに、自分のものが来たらすぐに食べ、帰りたくなったらさっさと帰っていった。寺での食事でも他の僧のように定時には食べず、夜中でも明け方でも自分が食べたいときに食べる。眠たくなると昼でも部屋に閉じこもり、どんな大切な用事があっても他人の声は聞かない。目が覚めれば幾晩も起きたまま平気で歩き回るなど尋常ではなかったが、人に嫌われるということもなく、万事において許容されていた。徳の高い方だったのであろう。