断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

授業再開

 また新学期が始まった。久しぶりに三保のキャンパスへ行き、見晴らしのいい校舎から駿河湾を眺めた。昨日で第一週目が終わり、とりあえず一段落ついた感じである。(藝大のほうは授業開始が遅く、まだ始まっていない。)
 長い休みのあとに授業が始まると、生活のリズムを変えなければならない。今年はその調整を二段階でしなければならなかった。ヨーロッパから帰国したときと、授業が始まったときとである。
 ヨーロッパにいた時は、かなり規則正しい生活をしていた。朝は5時か6時に起きて自分の勉強をする。それから旅行なり研修なりに赴く。夜は遅くとも11時にはベッドに入っていた。
 帰国してしからはそういう生活パターンは崩れた。仕事(研究)のリズムに合わせて生活するから、どうしても生活が不規則になってしまう。(じつはこれ以外にも時差ボケの問題がからんでいたのだが。)これが行き過ぎるといわゆる「自堕落な生活」になってしまうのだが、ある程度の不規則さは仕事の生産性のためには仕方がない。むしろ帰国して生活が不規則になったことで、ようやく自分本来の生活に戻れたような気がした。
 さて大学の授業が始まると、そうした不規則な生活をもう一度、別の規矩(週数回の授業、大学と自宅との往復)の中へ嵌めこまねばならない。学期が始まってまだ一週間だが、徐々にそれにも慣れつつある。
 そんなわけでヨーロッパにいる間は、研究面では大したことができなかった。そのかわり自分の人生を振り返って、色々と考えることが多かった。
 以前にも少し書いたが、私は大学を出てから一年ほど、JRに勤めた。大学へ戻ってしばらく、教官や先輩から「何でこんなところへ戻ってきたの?」と揶揄された。もちろん冗談半分だが、正直、あまりいい気持ちはしなかった。「何を好んで安定したエリートコースからドロップアウトしたんだい?」と言われているようだったからである。しかし今はっきりと分かるのは、あのまま会社に残っていたら、物質的にはともかく精神的にはみじめな人生を送っていただろうということである。人生で本当に大切なことというのは、じつはそれほど多くない。熱意をもって取り組めないことなど、さっさと捨ててしまうべきである。私にとってサラリーマン生活とは、文字通り真っ先に捨てるべきものであった。そんな「どうでもよいもの」を人生の中心に据えるなど、絶対にあってはならないことだった。しかし問題はこれだけではない。じつは同じことは研究についても当てはまったのである。
 私は博士論文をニーチェで書いた。その後、紆余曲折を経てニーチェの研究はやめてしまった。自分の中でニーチェへの興味が消え失せたからである。処世のために(つまり研究者としての業績を積むために)続けるという手もなくはなかったが、それはしなかった。というよりできなかった。そういう仕事のやり方は自分を消耗させるし、何よりも会社をやめて研究者になったことの意味が分からなくなってしまう。私にとってニーチェ研究者をやっていくということは、生活のためにやりたくもない仕事をやることである。つまりそれはサラリーマンをやるのと同じことだったのである。
 いま私が取り組んでいるのは哲学そのものである。(「哲学そのものに取り組む」というのは、自我とは何か、意味とは何か、記号とは何か、イマージュとは何か、時間とは何か、などといった問題を、詰将棋でも解くように延々と考えるということである。)ヨーロッパにいる間、私はこれまでの自分の仕事ぶりを反省し、帰国したらそれこそ「一心不乱に」自分の研究に打ち込むつもりでいた。自分の人生を必然性の相のもとに置きたいと本気で思った。しかし人間の心は弱いもので、帰ってみればなかなか思うように仕事ができていない。帰国して四週間、やっと緒に就いたといった程度である。
 それでも落ち着いて仕事ができるというのは大きい。誰だったか或る音楽家が、外国にいるときは元気になるが、本当に仕事がはかどるのは日本にいるときだと書いていた。まさにその通りで、私もヨーロッパに行くと元気になるが、本当の意味で仕事をしていると感じるのは、やはり日本で生活しているときなのである。