断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

イタリアへ行きたしと思へども

 十二月に入り、今年度も残すところわずかとなった。今年は身の回りに厄介なことが次々と起こって、慌ただしい一年となった。 僕のような、普段はのほほんと生きてる人間も、こういう折にはいろいろと試される。自分自身の欠点や限界もはっきり自覚できた。自分自身だけではない。自分を取り巻く人間関係についてもそうである。困難な状況に直面して、周囲の人たちの驚くべき人間性(悪い意味でのそれ)がはっきり見えてきたことも何度かあった。むろん今まで盲目の状態だったわけではなく、ある程度は分かっていたのだが。
 その一方で暖かく手を差し伸べてくれた人、ずっと付き合いのなかった古い友人が声をかけてくれたこと、またこれまで赤の他人であった人が親身に世話を焼いてくれたことなどもあり、人間というもののありがたさが身にしみた一年でもあった。
 どうも今は、色んなものをリセットしてしまいたい気持ちである。ワイマールの宮廷からイタリアへ逃避したゲーテのように、今いる環境を全部捨ててしまいたい気分もするけれど、そんなロマンチックな逃避行はなかなか叶うまい。むしろつまらない雑事を切り捨てて、自分自身に集中するのが、今は一番の解決策なのだろう。