断想さまざま

山村浩(哲学・大学非常勤講師・藤枝市在住・宇久村宏=ペンネーム)の日々の断想です。

列車の旅、バスの旅(1)

 先週末は大学が学園祭で、金曜日の授業が休講となった。秋のセメスターが始まってちょうど一ヶ月、そろそろ疲れもたまり始めていたので、ほっと一息つけた。ちょうど11月の初日で、折から風一つない穏やかな小春日和だったから、昼から大井川の川根温泉へ出かけてきた。
 ここへ行くときは、いつも金谷から大井川鉄道に乗って行くのだが、この日は島田からバスに乗ってゆくことにした。これは島田市の運営しているコミュニティーバスというやつで、途中で乗換えがあったりしてちょっと面倒だが、川根温泉までたったの二百円で行ける。鉄道だと往復で二千円近くかかるから格安である。(ただし鉄道には温泉料金込みのチケットが用意されているので、実際には千円くらいしか違わない。)が、今回バスを使ったのは、単にお金の問題だけではない。毎回同じ車窓風景で、いい加減飽き飽きしていたから、たまには違う景色を楽しもうと思ったのである。
 鉄道は主に大井川の右岸を走るが、バスは左岸を行く。右岸も左岸も大した違いはないと思われるかもしれないが、実はかなり違う。大井川ほどの大きな川になると、両岸が大きく離れていて、橋も数キロごとにしか架かっていない。場合によっては岸の向う側とこちら側とで別の生活圏だったりする。昔どこかで、「大井川右も左も茶摘かな」という句を見たことがあるが、はっきりいってこれはフィクションである。両岸の茶畑を同時に見るのは、双眼鏡でも使わなければできない相談である。
 さて肝心の車窓風景であるが、正直、がっかりするほどつまらないものであった。比較的交通量の多い生活道路だったせいもあるが、何の見所もない退屈なバス旅であった。大井川沿いの絶景を走る鉄道とは雲泥の差である。(終点近く、丘の上から温泉と川を見下ろす鳥瞰的な眺めがあって、これが唯一いい景色といえるものだった。)むろんこれは私の側の勝手な失望であって、バスは住民の利便性のために走っているのだから、たまにやってきた観光客にとやかく言われる筋合いはないわけであるが。
 今回はたまたまこういう結果になったのだが、それにしても鉄道とバスとでは、いわゆる旅の情趣というものが大いに異なるように思われる。「鉄道おたく」はあまた存在するが、「バスおたく」はほとんどいないという話を聞いたことがある。狭苦しいバスの車内空間と、比較的ゆったりとした鉄道のそれとの差によるのだろうと思っていたが、どうも話はそれほど単純ではなさそうである。仮に列車と同等の車内空間をもつバスが作られ、風光明媚な観光道路を走ったとしても、それで鉄道と同じになるわけではあるまい。逆にどこかのローカル線の線路をアスファルトの舗装路に変え、その上にバスを走らせたとしても、「鉄路」の雰囲気が完全に失われてしまうわけではないように思われる。